2011年3月11日に起こった東日本大震災から10年。
もう10年たったんだ・・・!と正直、時間がたつのは早いなと驚きました。
テレビであの時の津波の映像が流れると、すごく心が苦しくなってまだ涙が出ます。
震災があった時は、テツがまだ私のお腹の中にいました。
津波の映像を見ながら、愕然としたのを覚えています。
津波に流される車の窓を一生懸命叩いてる手が見えたのもすごくショックでした。
モモはその当時2歳、テツもお腹の中、そんな状況でもし自分がこの大震災に巻き込まれていたら・・・
考えるだけでも、またそのような状況で被災地にいたお母さん方を思うだけで心が苦しくなります。
エラー|NHK NEWS WEB
震災当時、身重の私を心配して旦那の両親から連絡がありました。
すぐに塩を買っときなさい。
あと、雨が降ってきたら濡れないようにね
あと、雨が降ってきたら濡れないようにね
旦那の両親
東日本大震災で原発事故が起きて、大量の放射線が大気中や海、大地に放出したため、私達が被ばくしないよう心配しての忠告でした。
なので、その当時は食べ物などもすごく気を遣いましたし、小雨でも絶対濡れないよう、ピリピリしていた記憶があります。(塩ももちろん瀬戸内海の塩で、震災が起こる前のものを確保して使っていた)
家庭用放射線測定器のガイガーカウンターも買っていました。
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万が一、放射線が混じった雨が降って、公園の砂場が汚染されていたら。。。と心配して、毎回遊ぶ前にその場所の放射線量をチェックしていました。
自分が大学の研究室で、放射性物質を取り扱った実験をやったことがあったので、余計に放射性物質が怖かったんですよね。
ニュースで、「福島県産の食品が国の安全性基準を満たした」と放送され、市場に出回るようになったころから、あまり気を遣わなくなり、私たちは普通の生活に戻った気がします。
https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/nousan-qa.html
当時私達家族は中国地方に住んでいたのに、ここまで神経質になっていました。
被災地やその近郊に住まわれている方の大変さは本当に想像がつきません。
だめだ・・・泣けてしまう・・・
私はちっぽけで、何もできないけど、この震災はずっと忘れません。